お弁当作り

朝からガスレンジのボタンをパチパチさせ、卵焼きのフライパンを温め、卵を3つ割り、少しの水と出汁をいれてジューと流し込む。
弱火にし、私の朝ははじまるのだ。

それから慣れた手つきでご飯を詰めて
大きな梅干しを真ん中にどんと埋める。またその上から白胡麻。たまに海苔をふりかけたり、おかかだったり、大概その日の気分で決める。
反対側のコンロであったかい汁物。
味噌汁か前の晩の残りもんか。その日の気分で決める。これは作り手の特権だ。


片方の手では、子供たちの朝ごはん作りにとりかかる。何が食べたいか。食べたくないか。を問いかける。食べたいのであれば、ある食材を伝えオーダーを待つ。注文に答えられれば取り掛かる。



残された時間とママのやる気が合致しない限り、注文は自然と却下となる。注文したものすら忘れている朝の身支度を終えた子供たち。ピカピカに食べる日もあれば食べない日もある。


そんな日々を重ねてく中で、量はいつもより少なめでいいんだね。とか、やたらフルーツを食べたがるね。とか、ヨーグルトは洗いものが少なくて、おりこうさんメニューだね。とか。
料理長ママとして日々成長させてもらってることに気づく。



運び終えた手で次の工程にとりかかる。お気に入りコーヒを淹れる
ゆっくりとコーヒの香りを感じ、あつあつのお湯を注ぐ。粉ががぶくぶく泡立つのをじーっと見つめ、好きな音楽を流しながら優雅に淹れる日もある。
また、どこか忙しい気分であればキッチンの片付けをしながら、お湯を注ぎ淹れる、そんな日もある。


どんな淹れ方にせよ『ありがとう』と気持ちを込めながら丁寧にマグカップを手にする夫の姿をみると、無事に朝を迎えられたという気持ちでホッとする。


あつあつの卵焼きに、すこしの野菜とおかず。忘れちゃならない彩り。
バランスを整え、蓋をしめる。チェックし過ぎる日は箸を入れ忘れている。それがバロメータになる。
やんわり申し訳なさそうに『箸が入ってなかったよ』って注意してくれた日も前はあった。
日に日に大変だろうと察してくれた想いからか何もなかったかのように接してくれる彼がいる。


残さずに気持ちいいくらいにピカピカにしてくるお弁当箱。洗いものまでしてくれるまでになって助かっている。


何も続けられなかった私が彼がいてくれたことで、お弁当作りを続けられたこと。ふとしたときに届くメール。

『お弁当ありがとう』の文字をみると、嬉しくなっちゃうのは事実そのもの。


どこか彼の前だと素直じゃない恥ずかしがりやな私の指がそう打ち込んでいたのは、いうまでもないだろう。


『食べてくれて、ありがとう』


そのやりとりが何よりも私の生きる力となり、明日への糧となる。